「基礎」というもの
ひぢょ~に大雑把にまとめると「基礎も無いのにそんな事やって大丈夫かよ?おぃ」って話ですが、こういう例はプログラムに限らず色々な分野で見られる事が多くなっているような気がする。
小寺 信良さんのblogでも類似の話が書かれていますが、「弘法は筆を選ばず」というのはあっても、「筆を選ばなければ弘法になれる」訳ではないのは論理学の基礎で、やっぱりそれなりの環境と経験が無いと筆を選ばない境地に達する事はできない。
プログラマよりITアーキテクトの方が利益率が高いから、いきなりITアーキテクトにしてしまう。レベルの高い機材が合理的コストで入手できないから機材レベルの低いもので仕事をする。理由は違うけど、どちらもシロウトに経験を積ませるためにコストがかけられなくなって来たという共通点がある。
無駄なコストを省くというのは当然として、果たしてそれらは本当に無駄なコストなんだろうか?
玄人だからこそ省けるコストというのはあるけど、だからと言ってシロウトに仕事をさせる時まで省けるとは限らない。
そのあたりの見極めをしないままに、「コストダウンは善」というただ一つのモノサシで評価をしていると、部分的コストは減らせても、総合的コストは上昇する事になってしまうのではないだろうか。
たとえば下流工程の都合を考えない設計では下流工程で多くの余計な手間が発生してしまうとか、保守性が悪くて後々いらないコストが発生するというのは実際良くある話。
下流工程から自分の手を離れてしまった後の保守の事まで総合的に勘案して、自分の好みや僅かな自分の経験の範囲内だけで事を済ませるのではなく、適材適所で幅広い選択肢から最適なものを選び出すというのは、それなりに多くの経験を積んで多くの選択肢を持った人でないとできない事だろう。
もちろんこれは、ただ歳食ってれば良いという話ではない。
いくら数だけこなしても、同じ事ばかりやってるのでは選択肢は広がらない。
特にIT系では、次々と新しいものが出てくるので、どんどん新しいものを吸収していかなくては単なる古臭いオヤヂになってしまう(^^;
そういう自戒と研鑽は忘れてはいけない。
ま、オヤヂの話は置いといて(^^;、学校でC言語を勉強しました~程度のシロウトをいきなりITアーキテクトとかにしてしまうというのは、ぶどうを搾った汁にエチルアルコールを加えて「ワインだ」って言ってるようなもので、確かに原料はぶどうだし、飲めば酔っ払うし(^^;、「ワインのようなもの」ではあるけど、やはり飲むに耐える、美味いワインを作るにはそれなりに熟成するための期間が必要で、こればかりはどうしても省けない(時間という)コストだろう。
ただ、「ワインのようなもの」は余程の味オンチでなければ飲めばすぐにわかるけど、「ITアーキテクトのようなもの」は見る人が見ないとすぐには判断できないというのが難しい所なのかもしれない。
エチルアルコールという不純物を混ぜられてしまったぶどう汁は、いくら熟成させても美味しいワインにはならないのと同様、未熟なITアーキテクトはそのプロジェクトだけでなく、プロジェクトの失敗という挫折経験から、その未熟なITアーキテクト自身をも潰してしまう結果になりかねない。
美味しいワインを安定して供給できるメーカは時間を必要なコストと認識してちゃんと確保しているように、良質なソリューションを安定して提供するためには決して省いてはいけないものがある事を認識すべきではないだろうか。
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