著作権延長問題
何か賛成側の人の意見って矛盾してるというか、おかしいモノが多いような・・・
たとえば延長派の三田誠広さんは
「『日本も70年にして下さい』と訴えても『お前の作品はもうかっていないから50年でいいんだ』と言われると、わたしも意欲をなくす」
なんて言ってますが、こちらを見てみると、国から「お前の作品はもうかってないから50年でいいんだ」と言われる以前に、出版社から「お前の作品はもうかってないから4年でいいんだ」と言われて2002年の作品が絶版になったりしてる訳ですよ。
で、それで創作意欲が失われたか?というと、現在でも旺盛に新著を出しているようですし。
そもそも、「著作権切れ」というのを、「価値が無くなったからタダにせよ」と言っているんだという解釈がおかしいんじゃないでしょうか?
著作権の保護期間が切れるというのは、私財から公共財に変わるという意味であって、価値が失われる訳では無い。
既に著作権が切れている枕草子や源氏物語に価値が無いと思ってる人はいないし、出版して儲けてる出版社もある。(儲けると言うと語感が悪いので、出版によって正当な収益を受け取っていると言い換えた方が良いかもしれない)
元々価値の無いものであれば、50年も待たずして忘れられてしまうだけでしょう。
また、松本零士さんは
「そばやうどんと一緒にしてもらっては困る。作家の作品は残るが、そばやうどんは私にも作れる」と反論した。
そうですが、そんな事を言うのなら、漫画なんて幼稚園児でも書ける。
ただ、その作品が人の心を打ち、多くの人に支持され、多くの人が金を出してでも欲しいと思うかどうか。その違いでしょう。
そばやうどんは(クォリティは違えど)シロウトでも作れるから保護する価値が無いと言うのであれば、漫画や小説だってシロウトが書けるんだから保護する価値が無いという話になってしまう。
幼稚園児が書く漫画と松本零士の漫画を一緒にするなと言うのであれば、シロウトの打つそばやうどんと、お客にお金をもらっているそばやうどんも一緒にすべきではない。
また
「古典と現代を混ぜてはいけない。近現代にあるものを改変したりパロディー化することは作品への侮辱。先人に学ぶというのは事実だが、学んだだけの敬意を払うべき」
というのもおかしな話で、劣化コピーが作品への侮辱である事は古典でも現代でも同じ事じゃないでしょうか。
松本零士の作品は侮辱してはいけないが、紫式部の作品は侮辱しても良いのか?って話になりますよね。
(もちろん、私はどちらにも敬意を払うべきと思ってますが)
そもそも、改変したりパロディー化する事が作品への侮辱なのかどうかという話もある。
むろん、侮辱的なものもある事は否めないけど、逆により良くなっているものもあるでしょう。
たとえば、漫画や小説を原作としてアニメ化、ドラマ化され、それが好評になって原作が再評価されるという例はいくらでもある。
原作をアニメやドラマのシナリオにするというのは「改変」ですね。
改変やパロディー化が侮辱なのではなく、侮辱的な改変や侮辱的なパロディー化が作品への侮辱であるというトートロジーでしか無いように思います。
正直な話、著作権の保護期間は50年が良いのか70年が良いのかというのは私には判断が付きませんが、この議論に参加して「延長賛成派」として論陣を張っている人の意見は(少なくとも、この記事に掲載されている範囲では)説得力が無いように思います。
まぁ、「延長賛成派」が変な事言ってる部分だけを取り上げて書いているのかもしれませんが。
岡田有花さんの記事だし(謎)(^^;
(明日へつづく)
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コメント
アメリカの70年は某ネズミ保護の為なのは自明で。
針生は著作権、50年で良いと考えます。慣例通りという意味で。
然し、パロディーと一言に言いますが、彼らはオマージュはどう扱うんでしょうね。
一世を風靡したエヴァの題字だって市川崑のオマージュで、パクリと言えばパクリですし。
「パターン青、使徒です」のセリフ時にコンソールに表示されるBlood Type:BLUEだって、ブルークリスマスのオマージュ。
それらはその作品を本当に敬愛してるからこそ(書|描)けるモノだと思います。同人誌然り。
勿論敬愛している必要が有ります。セルダンさんの仰る敬意を払う、と言うのは尤もだと思います。
それにしても松本零士までがそんな解せん事を言い出すとは思いませんでした。
投稿: 針生 | 2006.12.12 23:03
>針生さん
松本零士さんの奇妙な言動というのは、結構有名みたいですねぇ(^^;
宇宙戦艦ヤマトを見て育った私としては残念ですが・・・
投稿: <セルダン> | 2006.12.13 00:00
>宇宙戦艦ヤマト
知ってるかもしれませんが松本はキャラデザその他だけで、本編はほとんど
関与していないから無問題。 (^^;
ただこないだ漫画喫茶で読んだ「999」原作は、意外と面白かったですけどね。
作中「信念を貫け」とか言ってましたから、きっと氏自身も貫くでしょう。
で、問題の本質としては、「50年と70年、どっちがいいか」なわけで、んなもん
「税金安くて保障の薄い国」と「税金高いが福祉の行き届いた国」のどっちがいいか
レベルの一長一短論だと思うんですが…。実際どっちの陣営も、なぜ“50”
(または70)なのかについて具体的根拠を示せないので、単なる理想論に
終始してしまっているのが笑えます。あれじゃ「50と70どっちがいいか」じゃなくて
「そもそも著作権保護は必要か否か」というレベルの議論でしょ。
まあいずれにせよ、過剰な法的保護規制が掛かっても、反対の声を上げるより
抜け道を探してよしとする国民性で、果たしてこんな議論がどれほど盛り上がるのか
謎ではあります。 :-P
投稿: yoh-yoh | 2006.12.13 10:41
>yoh-yohさん
999といえば、アレは明らかに(設定は)宮沢賢治の銀河鉄道の夜をパクッ^H^H^H参考にしたものなので、「古典はOKだけど現代はダメ」と言うのは「オレはパクッ^H^H^H参考にしても良いけど、オマエらオレのをパクるんじゃね~!」と言ってるような気がしたりしなかったりします。妄想ですが。
え~っと、改変は作品への侮辱だったんでしたっけ?(^^;
ま、それはさておき、70年はともかく、50年は一応ベルヌ条約で決まっている事なので根拠はあります。
(ベルヌ条約で50年とした根拠は謎ですが(^^;)
投稿: <セルダン> | 2006.12.13 20:35
ソースとしては不明瞭ですが、「銀河鉄道999」については宮沢賢治の遺族から許諾をとっているという話はあるようです。「松本零士 宮沢清六」をキーワードにぐぐるとあちこちに載っています。
投稿: 破レ傘 | 2006.12.13 21:05
>破レ傘さん
いゃいゃ、許諾の問題じゃないんですよ。
「侮辱的な」とかの冠無しに
「改変したりパロディー化することは作品への侮辱」
と言い切ってる訳で・・・
それじゃ、あんたがやってるのはどうなのよ?みたいな(^^;
投稿: <セルダン> | 2006.12.13 21:25
コメントだけ読むとアレでしたが、そういう意図なら納得です。確かに引用された「古典と現代を混ぜてはいけない」は理解できませんね。古典も現代も同じことでしょう。
投稿: 破レ傘 | 2006.12.16 08:08
>破レ傘さん
古典なら、たとえば今更紫式部が文句付けに来たりする心配はありませんが、現代なら松本零士が文句を付けに来る事はあるので、そういういう意味では「混ぜるなキケン」ではあります。
「作品への評価」とか「作品を侮辱しても良いか否か」とは*全く*関係ありませんが(^^;
投稿: <セルダン> | 2006.12.17 02:40