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2006.12.13

続・著作権延長問題

昨日の続きなんですが、コメントに書こうかと思ったら結構長くなっちゃったので別記事にしました。
著作権保護期間は延長すべきか 賛否めぐり議論白熱
昨日は記事に書かれている発言へのコメント中心だったんですが、今日は私の拙い考えなどを

私としては、著作権の期間は50年でも70年でもどっちでも良いんですが、現在の仕組みでは権利だけが主張されて義務が無いというのに疑問を感じます。

たとえば小説とかは絶版になったりすると、もう在庫分と古書でしか入手できなくなっちゃう訳で、そんな状態で50年も70年も経ってしまえば、もう忘れられた存在になってしまう場合も少なくありません。
まぁ、忘れても問題無いような雑文であればどうでも良いんですが(^^;、中には良書であるにも関わらず、プロモーションが下手だったとか、同時期に大作が出たとか何かタイミングが悪かったために知られてなくて、後になって再評価されるという場合もある訳ですよ。
そういう埋もれてしまった作品というのはとってもモッタイナイ。

であれば、たとえば、権利は50年でも70年でも100年でも良いけど、代わりに絶版になって何年か(たとえば5年とか10年とか)経ったものはその期間前でも著作権(著作財産権)を失う(=権利を得るためには出版を継続する義務を負う)という仕組みがあっても良いんじゃないかと思います。
絶版のまま放置しておけば、もう収入も無いんですから、それでも何ら金銭的には失うものはありません。(心情的には別でしょうが)

また、未発表の作品を公開するか否かというのは著作者人格権(公表権)の問題なので尊重すべきと思いますが、一旦公開されたものを、著作権(財産権)を根拠に、正当な対価を払うと言ってるのに使わせない(=許諾を与えない)というのも問題だと思います。
リンク先2ページ目で平田さんが指摘している

若くして亡くなった作家の作品が後になって日の目を見た時、作家の見ず知らずの親戚1人の反対で上演できなくなる可能性もある

というのとか。
まぁ、この辺は現在ある裁定手続きを拡張して、著作権者(著作財産権継承者)が明らかな場合でも反対されれば使えるとか、そういうので対応できるかもしれません。

もう一つ、著作権の相続人が多すぎて許諾を取るのが大変というのも問題ですね。
同じく2ページ目で福井さんが指摘している

著作者の死後、著作物は相続人の共有財産になってしまう。50~70年も経つと相続人は十数人になっている可能性もあり、うち1人でも反対したら作品を使えなくなる。

というようなの。
これは、形式主義で行けば、たとえば共同著作物の代表者のような形で、複数人が相続する場合は代表者を定めなければいけない。また、その代表者名を何らかの機関に登録するなり公示するなりしなくてはいけない(=しなければ財産権を失う)という形にしても良いかもしれません。
(無論、相続放棄するのであれば、代表者を決める必要も無い)
無形式主義であれば、上でも書いた裁定手続きの活用でしょうか。

しかし、こういう使用許諾に反対する人って何か著作権に対して誤解があるような気がします。
他人に改変させないとかいう「同一性保持権」などの著作者人格権は一身専属のもので、著作者死亡と同時に消滅する権利です。
相続が可能なのは財産権のみ。
著作権(財産権)というのは、その著作物から生み出される財貨(の一部)を独占的に受け取ることができる権利であって、他人に使わせない権利は無い。

もちろん、財産的な価値を著しく減失させるような、対価無しでバラ撒くような行為とか、他の著作者名でパクッたりというのは、財産権への侵害ですから、財産的価値を守るためにも差し止める事ができる必要があるでしょうが、適切な対価を支払う者にまで使わせないという権利は無いはずです。
これは何も突飛な話ではなく、著作権法の中にもそういう考え方は一部入っていて、たとえば第六十九条(商業用レコードへの録音等) には金を払うって言ってるのに著作権者が使わせない場合には文化庁長官が定める額の補償金を払えば使っても良いという規定があります。

著作権法は、あくまでも公正に著作物を利用するための法律であって、著作物を著作権者の思うがままにするための法律ではありません。
また、第一条に

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする

とあるように、目的は文化の発展であって、著作者の権利の保護は、その目的のための手段です。
目的への障害となる手段は改めるべきだし、手段を目的化すべきでもありません。

極端な話、著作者の権利を保護する事が文化の発展への障害であれば、著作者の権利の保護を無くす事も考える必要があります。
まぁ、丸っと全部権利を無くすというのは明らかに害の方が大きいでしょうからあり得ない話でしょう。
しかし、「権利が切れると妻子や孫が可哀想じゃないか」というお涙頂戴は保護期間を延長する理由にはならないと思います。
著作者が可哀想だと思うか思わないかは個々人の自由。
あくまでも、「50年が70年になったら可哀想じゃないから創作意欲がもりもり沸いて来る」というので増える+の総量と、20年間権利を独占される事による-の総量を比較して、+>-なら伸ばせば良いし、+<-なら現行通りで良い。

孫子の代まで権利を私有したいという延長派と、早く自由に(許諾手続きなど面倒な事無しに)使いたいという反対派の意見衝突である以上、何年になったにせよどちらかが残念な思いをする事になる訳で、「残念な思いをする人が出るからダメ」というのではお話にならないかと思います。

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コメント

結局は「フェアユースはどうなってるねん!」って話じゃないでしょうか。

地デジもそうですが、日本で権利者の側の発言しかほとんど耳にしないのは
危険だと思っています。使用する側とされる側、両方があって成立する以上、
片方ばかりを保護するのは妥当じゃないですからね。

「遺族が一方的に差し止める」問題は、今の概念だと“人格権”と“財産権”という
別はあっても、財産権の中の対価を得る部分と二次著作を許諾する権利の部分が
明確に区別されていないことも原因かと思います。別に“対価権”は相続できるが
“二次使用許諾権”は権利者死亡の時点で消滅する、でも制度として成り立ちそうな
気がするんですけどね(てか二次使用の許諾は元から人格権の側でもいいような…?)。

あと、著作権については「映画(含むアニメーション)、コンピュータソフトなどで、
実際に作った人間には権利が与えられず、それらを雇った会社の側にばかり
それが行ってしまう」という問題点もあると思っています。今回の話題からは
逸脱しますが、まだまだ改善すべき点の多い制度ではありますね。

投稿: yoh-yoh | 2006.12.14 11:25

>yoh-yohさん
現在の著作権法では、許諾=対価という形になっています。
要するに、
許諾を得なくてはいけない→許諾を得るために著作権者と話し合う→そこで許諾の条件として金の話も出るだろう
という感じ。
なので、許諾と対価を分離するというのは、ちょっと難しいでしょう。

まぁ、それはそれで一つの方法ではあるんですが、「対価を確実に受け取るための許諾権」を「使わせないための許諾権」として*乱用*してしまう人がいるのも事実な訳で、そこが問題ですね。

投稿: <セルダン> | 2006.12.14 22:13

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