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2007.03.13

著作権延長の話再び

「著作権保護期間、作家が選べるシステムを」――延長めぐる議論再び

例の著作権延長の話

「著作物の一元管理システムの理想」という提案がありますが、これは良いかもしれませんね。
実現できれば(^^;

ただし、
・権利者による自発的な登録が必要
・数年毎(たとえば商標権のように10年ごととか)に更新が必要
・登録されていないものは公表後何年か(たとえば特許権と同様20年)でパブリックドメインとなる
・このシステムは登録料、更新料で運用する
という形が良いのではないでしょうか?
これなら著作権を私権として守りたい人は守れるし、その意思が無い人の作品は早期に公共財となる。

次のページに賛成派の三田さんの言として

これは著作物の人格権を守るための議論だ。例えば谷崎潤一郎の保護期間がもうすぐ切れる。切れてしまえば、谷崎の作品を書き換えてネットで発表するようなファンが出てくるだろう。もっとエロくしようとか、もっと暴力的にしようとか。
とあるけど、どうして「賛成派」の人は70年にすればOKと考えるんだろうか?
谷崎潤一郎の人格権を守るべきと言うなら紫式部の人格権も守るべきなのでは?
そこまで遡らなくても、夏目漱石や森鴎外の人格権は?
あと20年経てば谷崎潤一郎の人格権は守らなくて良いの?

人格権は永遠に保護しようという主張であれば(同意は別にして)理解もできるけど、どこかで線を引くなら、そこに線を引く理由が必要でしょう。
今の50年にしてもさしたる理由がある訳では無いですが、それを変更しようと言うのであれば、変更に値する理由、没後80年経ってる人の人格権は保護する必要が無いけど70年の人の人格権は保護する必要がある「理由」を明示する必要があるのではないでしょうか?

人格権を守るべきか否かという議論であればこういう主張もわかりますが、50年を70年にしようという「理由」として「人格権を守るべき」では何の説明にもなっていないように思います。

後の方に、延長反対派の佐野さんの言として

「情報環境が変わり、“垂れ流し”の時代に入ってきた。多くの人が創作をしているが玉石混交で、石だらけ。編集者がいない環境で作品が出て行くことは不幸だと思うし、読まされる人も不幸だと思う」
というのがありますが、垂れ流された全体を見れば確かにその通りでしょうが、編集者の代わりに人気とか口コミというフィルターが存在している点を考慮すべきではないでしょうか。
ネットにある情報が石だらけだと言うのであれば、編集者が読む前の持ち込み原稿だって石だらけでしょう。
その石だらけの中から玉を取り出すのが編集者なのか口コミかが違うだけなのではないでしょうか。
石が多いからと言って、その中にまれに存在する玉までまとめて捨ててしまうのは、石を読まされる以上に不幸な事だと思います。

編集者が石だらけの原稿を読んでいるのは、もちろん金を稼ぐためという面もあるでしょうが、その石だらけの中から光る玉を選んで世間に出し、多くの人に読まれる事を喜びとして仕事をしているのでしょう。
それと同じ事がネットでもある訳で、多くの石の中から面白いページ、興味深いページを選び出してリンクしたり紹介したりする人がいる。
そういうリンクが増えればそれだけ元のページは露出も増える。
そういう「評価システム」を無視して、編集者という「評価システム」を通った後の作品と、「評価システム」を通る前のネットにある全体を比較して優劣を論じても、あまり意味は無いように思います。

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