最も説得力の無い思い付きの一つ
Phinlodaさんが、ITmediaの「“最も”なのに1人じゃない? 最も気になる日本語――「最も~な10人」 」について書いてたので便乗(違)
ITmediaに書かれていた
こうした言い回しの背後には、最も~な人やモノがすでに複数ある、という大前提がある。というのにPhinlodaさんは
いや ソレはない。と書いているが、確かにPhinlodaさんはそのような使い方をしてないかもしれないけど、巷に溢れる「最も~な」という表現には複数あるという前提で書かれている場合も少なくないのではないでしょうか?なぜなら、「最も」に当てはまる対象は1つに決まっているから。
というか、Phinlodaさんのように「言葉遊び」として使う場合ではなく、自然な日本語(のつもりで)書かれている場合には、複数ある事を前提にしているものが多いように思います。
で、考えてみたのですが、たとえばマラソンなどの中継で「先頭集団」という表現がされる場合がありますね。
2~3人が固まって先頭争いをしていて、そこからちょっと離れて第二集団という形になっている場合とか。
「先頭」という言葉は、「一番先」という意味であり、一番は一人しかいないはずなのに、「先頭」が「集団」というのは良く考えてみると変。
だけど、「先頭集団」という表現には、あまり違和感がない。
この理由を考えてみると、先頭争いをしている、その2~3人をひとまとめの集団として「ひとつ」と認識しているからではないでしょうか。
「人」より一段メタな単位(謎)としての「集団」単位で考えて、「先頭集団」というのは「先頭」争いをしている個々人の「集団」という意味ではなく、複数ある「集団」の中で一番前にあるから「先頭」で良いのではないか。
そう考えれば、たとえば
先←3人---1人---4人→後
という人員配置(違)の場合、間の1人は集団を形成していないのでメタな「集団」としては無いものとして扱われて、後続の4人の集団は「第二集団」となる。
この「最も~な~」という表現も同様に、メタな視点から見ると一番となるものを列挙していると考える事もできるのではないでしょうか。
たとえば、有名人を有名な順に50人ずつグループ別けすれば、上から50人は「最も有名な50人」となる。
「(最も有名)な50人」ではなく「最も(有名な50人)」と解釈すれば良いのではないでしょうか。
この「最も~な一つ」という表現が、元は英語のone of the mostの和訳であるというのは、確かにそうかもしれません。
私も中学校の英語の授業で初めて知ったような表現ですし。
しかし、こういう「変な」日本語が使われるようになった背景として、元々日本語に「5本の指に入る」というような表現があり、「代表的なものである事は間違いないけど、その中での優劣は付けられない(付けたくない。曖昧にしたい)」という場合にちょうどマッチしたのではないでしょうか。
「5本の指に入る」と言うと「じゃあ、残りの4つは何?」とか「それなら××の方が入るんじゃない」とか色々突っ込みが入りますが(^^;、「最も~な一つ」であれば突っ込みを避けやすい。
仮に「××の方が有名じゃん」と突っ込まれても「うん。××も最も有名な一人だね」と逃げられます(^^;し、5という具体的な数字が無いので、あれもこれもと突っ込まれても全部「うん、それも最も有名な一人だね」と言ってしまえば済みます。
そういう意味で「5本の指に入る」という表現よりも厳密な検証なしに気軽に使える表現として、「最も~な一つ」という表現は使われているように思います。
ちなみに、私自身はあまりこういう表現はしませんね。
やっぱ日本語としてキモチ悪いですから(^^;
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コメント
「最もアレな10人」という言い回しであれば、「アレ」が意味する内容に10通りの多様性を見いだしてしまえば万事おっけーのような気がしました。
* 稗田阿礼とか。
投稿: Bojan | 2009.06.05 19:58
>Bojanさん
ソレはアレですね。
# ナニが?(^^;
投稿: <セルダン> | 2009.06.06 04:31